人と関わる中で、さまざまな価値観に遭遇します。
一緒に生活をする夫婦・親子の中での
価値観の相違が、大きければ大きいほど、
一緒に生活をすることに、苦痛を感じることになるの・・・・・かも?
若い頃は許せなかったことが、年を重ねるごとに許せるようになること
(俗に 人はそうなった相手を見て「年とともに、丸くなったよね〜〜」ということが多い。)
逆に、年を重ね、許せなくなることが増える。
(俗に これを、「年齢とともに頑固になってきたね〜〜」とかいう)
〜ある夫婦が迎えた 人生の局面 ☝️
夫は、1つの会社に45年以上勤め、そこで出世をし、定年退職をした。
仕事人間だった。
妻は、専業主婦さん。人付き合いがとても多い。
夫婦が、新たなスタートをきるとき それは、夫が定年退職をし、家にいるようになった時
「戦い」が始まることが多いようだ。
夫は、それなりに出世をしてきた人。自分の考えには当然、自信がある。
仕事上、相手の腹の中まで読んでいたのだろう。それが癖になっているのかのよう。
人の親切を、そのまま素直に受け取ることが難しいようだ。
「親切」は表向き。実は・・・腹の中ではこう思っている。という説をときはじめる。
夫の言い分はこうだ。
「鮭の切り身を二切 持ってきて・・・・。なんていうか、わざわざ、二切ですよ。それで、今後、この先、助けて欲しいみたいなことを思っているんですよ。」
「自分で作った、鉛筆たて(牛乳パックで作ったもの)を持ってきて、「これは誰にも見せないで」ってここに持ってきたんですよ。誰かに見せて、マネをされたら嫌なんでしょ。著作権の問題なんでしょうね」
「うちのやつ(奥さん)が、自分の田舎の銘菓を取り寄せて、近所の人に渡すんですよ。そんな、大して美味しくもないものを無理やり渡して、相手は、迷惑なんですよ。だから、渡したご近所の方も「こんなに気を使わないで」って言っている。それは、こんなもんはいらないってことなんですよ。うちのは、それをどうしてわからないんだろう。」
・・・・
と、全てがこんな調子。
ん〜〜〜〜〜🤔
ご近所付き合いって、。
美味しいものがあれば、ご近所の方に分け、
食べきれないものがあれば、ご近所や、知り合いに分け。
「お裾分け」
この夫婦の場合、夫には「お裾分け」の概念がないのかも・・・・。
それと正反対な妻。
ご近所付き合い、人付き合い、お裾分けや、井戸端会議。
そうやって、地域の中で生活をしてきた人。
人に、喜んでもらいたい。
その気持ちが大きい。
夫婦といえど、二人は、真逆の考え方を持っている。
・・・
定年退職後、それが、はっきりと、明確になってしまう。
夫は、妻が使うお金のほとんどを(特に人付き合いで使ったお金)
「無駄」であり、「浪費」という。
あげたり、もらったり、、、、、。そんな無駄なことばかりしているという。
・・・・・
ふくまる 🦉 は、そんなやりとりができる、奥さんを、尊敬していた。
ある意味、そのやりとりを躊躇なくできる、そんな奥さんが羨ましくも、思っていた。
・・・・・
夫のその気持ちは、どんどんエスカレートしてきてしまう。
ついに、自分の年金は、自分だけのものとた。退職金も妻には渡さない。
これまで、稼いできたのは、全部俺のお金だ!! という。
この家で生活をするならば、食費・水道光熱費は折半。
そんなことも言い出している。
↩️
結婚をし、家庭を築き、子供が生まれ。
仕事人間だった夫だが、一生懸命働いてくれた。
子供は大学院までだし・・・。
これから夫婦二人の時間になる。
その時に、お互いの価値観があまりにも違っていたことに気がつく。
妻は、なんともいえない表情でこう話す。
「ここまにきてこんな風になるなんて・・・。情けないです。」と。
・・・・
昭和経済成長を支え、仕事・仕事でやってきた夫。
妻への経済的な締め付けが続いている。
このままいくと、経済的虐待にもなりうる案件である。
お金に執着をしてしまった夫。
このままだと、本当に大切にしなければならないモノを失ってしまう。
人生100年時代。
70歳で退職となりつつあるが、そこから更に30年近くある。
共に生活を送るパートナーの存在 そして お金。
お金 それは人生を送る上での、大切なツール。
しかし、お金よりも、大切なものがある。
そんな気がしてならない今日この頃です。
🍀瀬戸内寂聴さんがこんな言葉を残しています。
人間は幸せになるためにこの世に送り出されたとのだと思います。
そして幸せとは、自分だけが満ち足りることではなくて、
自分以外の誰かを幸せにすることだと考えてください。と。